あながち

感想ブログとなるのか、どうか?

クリスウェッジ『ロボッツ』感想

ロボッツ [Blu-ray]

アイスエイジシリーズの監督クリスウェッジによる、人間の存在しない世界のロボットが悪の資本主義を妥当して良心を世界に取り戻すという話。

全体としてどことなくマイナー感が漂うことは否めません。題材がロボットなのに主人公がブリキで古くさくて、この映画はそういう古くささを簡単に否定しない懐の広さからイノベーションが生まれるという内容なのですが、そのメッセージの強さに画面の説得力が追いついていない印象です。ブリキならブリキでもっとレトロなロボットの世界を展開してその魅力を見せつけてほしかった。

随所に挿入されるギャグの滑り率が高いです。男のロボットの下半身にスカートが装備されてしまって滑稽、みたいなの、子供向けなのかもしれませんがあんまし愉快ではないし、子供をバカで単純なものとして想定してしまってないですかね。

また、凋落したヒーローみたいなキャラクターがいるのですが、彼のすごさがイマイチわからなかったです。ガタイがデカくて体当たりするとすごいのはわかったけど、それ以外で彼がどういうパフォーマンスをもっているのかがわからない。

でも、お父さんのキャラクターはよくできていると思います。生きているだけで世界がバージョンアップされ、自分は取り残されていく。すべてをあきらめて日々をこなすけれど、唯一おもうのは息子のこと、というのが非常にわかりやすかった。

酒井直樹『日本/映像/米国―共感の共同体と帝国的国民主主義』感想

日本/映像/米国―共感の共同体と帝国的国民主主義

日米の戦後映像史をひもとくことで、両国の戦後発展の裏側にあった共感装置の働きと、その欺瞞が見えてきます。

喪失の体験としての戦争、その喪の作業としての映画体験があります。そしてその作業はおうおうにして国家の原風景にて最後を迎えてしまう。観客は物語を通して植民地主義に突っ走った過去を解体しようとするのではなく、「泣き声で歌うことによって過去を忘却する共同体」となってしまう。その共同体は恥を恥として認識するための尺度の放棄を迫る共同体であり、そのエモーションは戦争に向かう高揚と正反対ですがきわめて似た性質をもっている。

戦争の映画をあまり見たことがないのですが、時折見るものの中に「戦争に付随する当たり前の高揚」を描くものがすくないことが気にかかっていました。「おれやその仲間はいまから暴力や侵略などをおこなうが、それは正しい行動なんだ」という気分がどういうものなのか考えることが、過去の戦争やこれからの戦争について考えるのに不可欠だと思います。しかし退行するようにエモーションしていてもそういう身を切り裂くような反省はむずかしい。


読んで強く思うのは、戦争責任には、その意気揚々としてしまったシステムをどうするかということが含まれるということです。そしてそのことを考えるための物語はひどく辛辣にせよ、唯一止まってしまった時間を動かすための動力になる。はず。

クエンティンタランティーノ『ジャンゴ 繋がれざる者』

ジャンゴ 繋がれざる者 [DVD]

飲み干していいのか不安になるほどの強烈なカタルシス。

黒人奴隷であったジャンゴを訳あって賞金稼ぎが買い取り、パートナーとして共に働く=殺すことになる。そして賞金首は主に南部の社会にまぎれた白人の犯罪者。ジャンゴは鞭打たれる立場から一転して「狩るもの」になります。

レオナルドディカプリオが登場すると一瞬眼をひかれますが、この作品の最大のフックはサミュエルLジャクソン演じる執事のスティーブンです。黒人でありながらも奴隷制度の蜜を吸う彼の存在によって、差別構造がもたらすおぞましさにより深みがでてくる。それまで登場するあらゆるバイオレンス描写が彼のキャラクターにすべてつながっていく。
3時間のクライマックスに訪れる復讐シーンは、観ていて声を上げて体を揺らすのを避けられない強さがありました。爆弾ってスゲー。

最近『パシフィックリム』とか『アベンジャーズ』などを観て、マシーンや能力によるアクションの刺激を得ていましたが、やはりシンプルな道具と肉体が振るう暴力のほうが直感で興奮出来る感じがあります。それこそ暴力的に働きかけてくる。暴力ってのはその規模ではなくて、生々しさのことなのかもしれません。


しかし、副題の「繋がれざる者」って、ちょっと青臭い感じがあって嫌です。でもUnchainedをどう訳すか?っていま考えてみたんですが、あんまり良案が浮かばないです。むずかしい。

テレンスヤング『暗くなるまで待って』の感想

暗くなるまで待って [DVD]

「タイトルがネタバレ」シリーズですが、ネタ頼りではなく地道な展開が飽きさせないのでバレてても問題ないシリーズでもあります。

夫婦の愛情が前提にされていて、そのせいでドラマが真面目ったらしくなってしまう感じがあるのですが、そこを引っ掻き回す少女がいてよかった。敵に捕まりそうなところではったりをかまして逃げ果せるところが一番よかったかもしれません。一方で旦那いらねえなあ。

ずっと同じ部屋を舞台に進む話で、それはこの映画が芝居を原作にしているからみたいです。暗くなるところなど、とても演劇っぽい演出だなと思います。
しかし、死んだかなという奴が再度襲いかかってくるとき、その襲いかかってくるところそのものが急に現れるのは舞台の上ではむずかしそうで、自由に切り貼りのできる映画ならではかなと思いました。関係ないかもですが、『サイコ』のラストのドッキリシーンを何となく思い出しました。この種の唐突なショックを伴う演出、「びっくりさせやがって」と強く思いますが、嫌いじゃないです。ものすごく強く記憶に残る。『サイコ』は顔面もあるぶん衝撃的でした。

舞城王太郎『安達くんと桜井さん』感想

REALCOFFEEによる映画『ぼくたちは上手にゆっくりできない』の来場特典冊子に収録詳しくは公式HPへwww.realcoffee.jp


同冊子収録の短編が舞城王太郎の匿名性をネタにしたものだったので、舞城はそれに対抗してネタ合戦か、と思ったのですが、濃厚な味わいの短編でした。

いじめられた男の子が状況を打開するためにいじめっ子を食べ物に見立ててもぐもぐ食べちゃってそれが原因で(食べたほうが)病院に入って、その病院にいた人間をモノとしてしか認識できない女の子と出会い、なぜか女の子はその男の子だけは人間として認識できる、というのが前半の筋です。精神が不健康な人たちのドラマ。

特殊な世界に生きている女の子のために男の子が作った装置によって一般的な世界を観た女の子の言葉は「ああ・・!凄い!凄いね!映画って素晴らしいね!」で、女の子が装置を通して観たのは映画ではないんだけどそういうことではなくてここでは「映像」を通して人間は自分が生きている現実とは違う世界を観ることが出来て、その世界は愛する隣人の世界とも繋がりうるということだと思います。
小説は映画や漫画に比べて読者の想像余地がとても広くて、わりと突拍子もないことを起こしやすい方法で、舞城王太郎はその性格を生かして大暴れするところのある作家です。でも乱暴ばかりしているかというとそうでもなくて、映画でいうと「光をフィルムにうつして一つの視点をつくる」というようなメディア=媒介のもってるシンプルな性格とその公平さを示すこともある。しかもそういう動作をわりと乱暴しているときとそれほど変わらないリズムをもって展開していくようなところもあります。
創作が持っている進歩的な面と保守的な面の両刀を、まるで遠慮することなくズバズバと使いこなすそのさま自体が流れるようで、美しく思います。

(詳しくは書きませんが)オチを読んで、そんな舞城王太郎という作家の小説が読めなくなっちゃうのでは?という不安にかられました。でも、この作家の作品を読んだあとには、ひとりの作家(作品ではなく)に拘泥するというのも不健康だよなという気持ちを持つ勇気がわいてくるので、大丈夫です。