あながち

感想ブログとなるのか、どうか?

大今良時『聲の形』4巻まで読んで思ったこと_ふたつの歪みの、しんどさ

聲の形(1) (講談社コミックス)

 

 

対等って言葉が使われなくなるのが対等な状態だとしても、そこに向かっていくためには対等って言葉を使わなければいけません。私たちが進んでいる道は直線じゃなくてうねうね曲がっていたり分かれていたり一人分の幅しか(もしかしたらそれすらも)なかったり周りの風景が変わらなさすぎて進んでいるかわからなかったりする道です。また、仮に道がぴっちり整備されていても、私たち自身の歪みがその道のぴっちりさと噛み合ない。言葉と人間との噛み合わせの悪さ。

二つの歪みがあります。「私とあなたの間に上下はない」とわざわざ言う行為が言外に含んでしまう歪み。もう一つは、「私とあなたの間に上下はない」とわざわざ言う、言わなければいけない主体の歪み。二つの歪みがぶつかりあって、ここには徹底した居心地のわるさがあります。

 

歪みを隠蔽してはならない。歪みから徳を見いだしてもいけない。歪みは間接的に人を殺しうる。ただ同時に、歪みを無理矢理白日のもとにさらして正しさに照らすことはそれにもましていけない。人間は歪みベースで、歪んでない人間はいないからです。正しさが仮想で、歪みが現実。

こういう流れだと「歪んでいてもいい」という流れになりそうですが、それも違います。歪みは、やはりしんどくて、「いい」なんてものではとてもじゃないけれど、ない。できればなるべく歪んでいないほうがらくだし、限りなく正しさに近いところでやっていたい。生き心地が悪いことに価値なんて見いだしようがない。

 

じゃあ、どうする。

 

 

みたいなことが、私が『聲の形』を読んで考えることの基礎にあります。