あながち

感想ブログとなるのか、どうか?

今井哲也『ぼくらのよあけ』感想_少年少女はそのままに、大人へ

ぼくらのよあけ(1) (アフタヌーンKC)

 読みました!サイコーですね!

 

舞台が団地で、団地という小さな場所から宇宙というかぎりなく大きな場所にダイレクトに繋がることが出来るというようなことを思いました。そしてそのための装置は、昔大人たちがかつて少年だったことの証でもある、というような。

 

 

ハックス!』でもそうだったのですが、今井哲也の漫画を読んでいると魂のことを考えます。

魂は、形を持たなくて、人間の中にある。それはひとつの姿に留まることなく、形を変えていく。誰もその存在を証明出来ない。

でも、しかるべきタイミングで、しかるべきやり方を持ってすれば、それが昔そうあったようなものとして、新しく出会うことが出来る。その媒介がハックスでいえばアニメーションであり、ぼくらのよあけであればテクノロジーおよび装置です。

 

魂。

なぜ生きているかというと死が漂うので形を変えて生きてるとはなにかと問うとそこには色々あって、他人といることとか自分であることとか飯食うこととか知ること死んでないこととかなのですが、それらは言葉にしたとたん嘘になるというかそれら題目は魂のあり方とイコールでは結べない。どれだけ尽くしても誰にもわかる形で魂を証明することはできない。でも、魂を燃やすための行為や行為の蓄積には明らかに魂の熱がこもり、それにうまくアクセスすることがあれば、そこに魂があったことをひとは感じるし、魂の熱は伝染する。

たましいたましいうるさいようですね。でもそういうことを思いました。興奮したということでもあります。

 

魂言ってるのは興奮したからだけではなくて、この作品にオートボット、高度な人工知能が出てくるからでもあります。ロボットと人間の境目はどこにあるか?という話に魂というワードを使って入り込んでいこうという気持ちです。

テクノロジーは新たな世界を切り開くわけでそれがたとえばオートボットで、作中でオートボットが嘘をつくのですがこれは人間が考える「ロボット」の粋を越えています。他方で高度なSNSの中でルール(既読無視はNG)に包囲されている人間は嘘をつくロボットよりも可動範囲が狭い。だからといってルールを破壊すればいいかというと、そう単純でもない。

 

私たちにとって大切なものはなにで、それにどうやったらアクセスすることができるのか。またはどうすればそれにアクセスされることができるのか。また、衝動的にではなくて、その方向に向かって人生の舵をとる為にはどうすればいいのか?

そういうことを考えました。