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あながち

感想ブログとなるのか、どうか?

舞城王太郎『安達くんと桜井さん』感想

REALCOFFEEによる映画『ぼくたちは上手にゆっくりできない』の来場特典冊子に収録詳しくは公式HPへwww.realcoffee.jp


同冊子収録の短編が舞城王太郎の匿名性をネタにしたものだったので、舞城はそれに対抗してネタ合戦か、と思ったのですが、濃厚な味わいの短編でした。

いじめられた男の子が状況を打開するためにいじめっ子を食べ物に見立ててもぐもぐ食べちゃってそれが原因で(食べたほうが)病院に入って、その病院にいた人間をモノとしてしか認識できない女の子と出会い、なぜか女の子はその男の子だけは人間として認識できる、というのが前半の筋です。精神が不健康な人たちのドラマ。

特殊な世界に生きている女の子のために男の子が作った装置によって一般的な世界を観た女の子の言葉は「ああ・・!凄い!凄いね!映画って素晴らしいね!」で、女の子が装置を通して観たのは映画ではないんだけどそういうことではなくてここでは「映像」を通して人間は自分が生きている現実とは違う世界を観ることが出来て、その世界は愛する隣人の世界とも繋がりうるということだと思います。
小説は映画や漫画に比べて読者の想像余地がとても広くて、わりと突拍子もないことを起こしやすい方法で、舞城王太郎はその性格を生かして大暴れするところのある作家です。でも乱暴ばかりしているかというとそうでもなくて、映画でいうと「光をフィルムにうつして一つの視点をつくる」というようなメディア=媒介のもってるシンプルな性格とその公平さを示すこともある。しかもそういう動作をわりと乱暴しているときとそれほど変わらないリズムをもって展開していくようなところもあります。
創作が持っている進歩的な面と保守的な面の両刀を、まるで遠慮することなくズバズバと使いこなすそのさま自体が流れるようで、美しく思います。

(詳しくは書きませんが)オチを読んで、そんな舞城王太郎という作家の小説が読めなくなっちゃうのでは?という不安にかられました。でも、この作家の作品を読んだあとには、ひとりの作家(作品ではなく)に拘泥するというのも不健康だよなという気持ちを持つ勇気がわいてくるので、大丈夫です。