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酒井直樹『日本/映像/米国―共感の共同体と帝国的国民主主義』感想

日本/映像/米国―共感の共同体と帝国的国民主主義

日米の戦後映像史をひもとくことで、両国の戦後発展の裏側にあった共感装置の働きと、その欺瞞が見えてきます。

喪失の体験としての戦争、その喪の作業としての映画体験があります。そしてその作業はおうおうにして国家の原風景にて最後を迎えてしまう。観客は物語を通して植民地主義に突っ走った過去を解体しようとするのではなく、「泣き声で歌うことによって過去を忘却する共同体」となってしまう。その共同体は恥を恥として認識するための尺度の放棄を迫る共同体であり、そのエモーションは戦争に向かう高揚と正反対ですがきわめて似た性質をもっている。

戦争の映画をあまり見たことがないのですが、時折見るものの中に「戦争に付随する当たり前の高揚」を描くものがすくないことが気にかかっていました。「おれやその仲間はいまから暴力や侵略などをおこなうが、それは正しい行動なんだ」という気分がどういうものなのか考えることが、過去の戦争やこれからの戦争について考えるのに不可欠だと思います。しかし退行するようにエモーションしていてもそういう身を切り裂くような反省はむずかしい。


読んで強く思うのは、戦争責任には、その意気揚々としてしまったシステムをどうするかということが含まれるということです。そしてそのことを考えるための物語はひどく辛辣にせよ、唯一止まってしまった時間を動かすための動力になる。はず。